彼の一番になれないと知ったのはいつだっただろうか。


「あ、ちゃん。丁度良いところに!聴いてくれよ!昨日な、ヒトミがな!」
「鬱陶しいんですが」
「…結構、傷つくぞ、その言葉」


長くなりそうな鷹士さんののろけを一刀両断して、鼻で笑う。
凹ませたくて言ってるんだから当然です、そう言えば彼はムッと眉間に皺を寄せて不機嫌を示した。その顔があまりにも普段のイメージと違うもんだから、思わず噴出す。


「笑うなって…本気で凹む」
「はは、ごめ。くくっ…ついついあんまりにも気持ち悪いもので」
「泣くぞ?」
「やめ…あははははっ、駄目ですって、鷹士さんが泣いたら腹筋崩壊しちゃうから…!」


鷹士さんが泣いたら気持ち悪い…というか、結構可愛いと思う。性格はかなりアレだけれど(私より年上だとは思えない)、元は良いし。
本気で不機嫌に(そして泣きそうに)なっている彼を見て これはやばいと無理やり笑いを引っ込める。


「…」
「あー…ごめんなさい。もう笑わないから許してくださいよ。」


無言になってしまった鷹士さんに平謝り。今回は私が一方的に悪いんだからしょうがない。
こういうことは多々あるのだけれど(私に非があるのが7割)、鷹士さんがこれだけ拗ねてしまうのは珍しい。それでもって、これだけ拗ねてしまうと機嫌を直すことは困難なのだ。
厄介なことになってしまったと心の中で溜息をつく。
運の悪いことに私たちの居る場所はマンションのエントランス。住んでいる人が少ないとはいえ、学校の近くで人は多い。しかも、隣に居るのはイケメンのお兄さんだ。これで誰にも見られなかったら奇跡というもの。
…なるべく早くけりをつけなくては。
ヒトミちゃんには悪いけれど、最後の手段を使わせてもらうことにする。


「…ヒトミちゃんの話聴かせて欲しいな?」


機嫌を損ねた鷹士さんにはこれが一番の薬なのだ。


「……そうだよな!やっぱり聴きたいよな!ヒトミは可愛いもんな!」


単純、口には出さずに心の中にしまう。彼のシスコンは困ったものだ。
曖昧に頷きながら話を聴く。…やっぱり長くなりそうなので、自分の部屋に向って歩かせてもらう。
エレベーターのボタンを押したとき、鷹士さんの何気なく言った言葉が胸に刺さった。


「やっぱりヒトミは世界一だよな!」


…ああ。忘れていた。この人はシスコンなんて言葉で表せるほどの人ではなかったんだ。
鷹士さんは、ヒトミちゃんのことを誰よりも愛している。
彼の愛が違う人に注がれることはない。

ボタンにあった視線を鷹士さんに戻せば、にかりと笑う彼の姿。

好きだと思ってしまった私は馬鹿なのだろうか。


「…鷹士さん、それ 女の子の前で言わないほうが良いですよ?刺されちゃいますから」


反論を許さない強い口調と笑み。可笑しいことは言っていないし強がりだとは気づかれないはずだ。
鷹士さんは私の言葉に「そうか、そうだよな」と頷き、一言謝った。どうやら私が女だということは忘れていなかったらしい。


「あ、そうだ!ちゃん、今日うちでごはん食べていかないか?」
「鷹士さんのヒトミちゃんと過ごす幸せな時間を邪魔したりしませんよ」
「え、いや、全然 邪魔だなんて思ってないぞ?…それに」
「思われてなくても私がそう思うので今回はご遠慮しておきます」
「…この前もその前も、そのそのずーっと前からそう言って断ってること知ってるか?」


不機嫌再来。
さっきのように重度じゃないからまだ良いものの、今日はよく彼を不機嫌にさせてしまう日だ。
それにしても 私、ずっと同じ断り方だったのか。自分のボキャブラリーのなさに少し絶望。


「そんなにうちに来るのが嫌なのか?それならそうと言ってくれ、もう無理に誘わないから」
「別に嫌とかじゃなく…」


別に嫌なわけじゃない。ただ、もう気づきたくないだけ。


「…よかった。嫌なわけじゃないんだな!」
「え?あ、はい」
「よし!今日、この後予定は?」
「ないですけど」
「じゃあ、夕飯にご招待決定だ!」


私の降りる階で開いたドアを閉めて鷹士さんはにかと笑う。
なんだろう、この展開は。強引すぎやしないか?
反論を言うも鷹士さんは聞く耳持たず。さすがに疲れた私はひとつ溜息をついて、承諾の返事を返した。


「言うの忘れてたんだけどさ、今日ヒトミ家に居ないんだよな」


さらりと言ってのけた彼に絶句してしまった。


「今、ヒトミちゃんが家に居ないとか言いました?」
「おう。今日梨恵ちゃんの家に泊まりに行ってるんだ」
「…」
「どうかしたのか?」
「それを!早く言えぇえ!」


帰りたい。帰りたい。鷹士さんと二人っきりなんて…!

当然のごとく反論を再開するのだけれど、虚しい努力に終わった。
そして私がこの招待の意味を知るのはもう少し後のこと。


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